しらねえよ

恐らくこの話、分からない人には何のことやらサッパリだと思うので今まで放置していたが、
今になって一部界隈で問題になってきているようなので触れておく。

今月初めくらいにニコニコ生放送でゲームの実況配信をしていた。
とあるフリーゲームで、本格派の長編RPGだった。
で、実はこのゲームの作者さんは「自分の作ったゲームが実況・配信されること」を頑なに嫌っている方で、ずっとその方針は変わらなかった。
しかし今年の8月末、実況禁止というルールが一転、作者のブログによって「実況全面許可」が宣言されたのだ。
僕はこのチャンス今後二度とないと思い、速攻で実況しようと思った。
作者さんの代表作に「タオルケットをもう一度」シリーズがあるが、今回はその派生物語である「笑う、わらわぅ」という作品をチョイス。
ゲーム開始から30分もすれば僕はその非日常的な世界観に魅了されていた。気が付けば没頭 視聴者そっちのけでゲームの世界にのめりこむ自分がいた。
開始から約4時間後、無事ゲームクリアー。だが、ストーリーの結末に驚きを隠せなかった僕はどこからかこみ上げる、摩訶不思議なエモーションに流されるまま、涙した。とにかく言葉では言い表せない感動がそこにはあった。

しかしその余韻に浸る間も無いまま事件は起きた。
ゲーム作者のブログにアクセスすると、なんとそこにあったはずの「ゲーム実況許可」という記事が削除されていた。
さらに視聴者いわく、僕がゲームを開始するとっくの前から記事の削除は行われていたとのこと。
一生懸命頭の中で情報を整理する僕、そのときは全く状況をつかむことができなかったのだが
一つだけ確かなことがある。それは、
"僕がゲーム配信を開始した時点で、すでに実況許可の宣言は取り消しされていた。つまり僕は、ゲーム実況が禁止された状態で作者のゲームを実況配信してしまっていた"
・・・たとえ時計が左回りになろうとも、犯した過ちは変えることが出来ない。僕はこの事実をただ重く受け止め、心の中にしまいこんだ。そして、それを「無かった事にしよう」と考えた。
ニコニコ生放送には、放送内容の録画をするかしないか、放送者自身が任意で選択することができる。いわゆるタイムシフト機能である。それを切ってしまえば全てを消すことができる。
枠の終了後、すぐに編集ページへ移動。「タイムシフトを利用しない」コマンドにマウスカーソルを合わせ、クリック

・・・しなかった。出来なかった。僕の正義感がそれを許さなかった。
ただ過ぎ行く時間。
やがて、タイムシフトという名の犯行現場の一部始終は公開された。
そして案の定彼らに見つかった。ゲーム作者を崇拝しているファンの人たちである。
放送は荒らされるようになり、ファンを名乗る人間から「絶対許さない」というメールが送られてくるようなった。
さらに驚いたのが、作者本人さえも僕を名指しで批判し大激怒していたようだ。(あくまで風のたよりだが)
僕はただひたすらに頭をかかえ煩悶した。どうすればいいんだ。このままずっと罪を償い続けなければならないのか。
そのとき、ある考えた頭をよぎった。

「そもそもネット上に公開されてるフリーのゲームを実況して何があかんの?」

一見、思考停止に見えるようで実は真っ当な主張なのではないか。
だからこの姿勢を貫こうと決めた。
頑固として向かい風に屈しない僕。やがて荒らしはやみ、かつての閑寂を取り戻した。


僕は今まで長く動画投稿や生配信を続けてきたが、一貫して意識していたことある。
何かやるには、なんらかの反応がほしい。たとえ間接的にでも僕の動画が誰かの目に止まるのであればそれは幸せな事である。
「1人でも多くの人に見てほしい、知ってほしい」そう思って今までやってきた。
だがあのゲーム作者は違った。理由は分からないが、少なくともゲーム実況というきっかけから自分の作品が知られることを嫌った。
何かをクリエイトする人間は、みな僕と似たような考えを持っていると思い込んでいたから、彼のような思想を理解出来なかった。それゆえの過ちだったといえよう。
今回の件は大反省した。そしてそれと同時にとても大きな事を学ぶことができた。
それは、「人の価値観は千差万別である」ということだ。



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